家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 宇佐神宮【大分県】の神紋(家紋)

    宇佐神宮【大分県】の神紋(家紋)宇佐神宮。八幡さまは古くより多くの人々に親しまれ、お祀りされてきました。
    全国約11万の神社のうち、八幡さまが最も多く、4万600社あまりのお社(やしろ)があります。
    宇佐神宮は4万社あまりある八幡さまの総本宮です。
    一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ・応神天皇)左三つ巴
    二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ・宗像三女神)菊紋
    三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう・応神天皇の母君)桐紋
    (宇佐神宮ホームページより)
  • 高千穂神社【宮崎県】の神紋(家紋)

    高千穂神社【宮崎県】の寺紋(家紋)高千穂神社。高千穂郷八十八社の総社で、約1900年前の垂仁天皇時代に創建されました。高千穂郷八十八社の総社で、神社本殿と所蔵品の鉄造狛犬一対は国の重要文化財に指定されています。
    主祭神は高千穂皇神と十社大明神で、特に農産業・厄祓・縁結びの神をして広く信仰を集めています。高千穂皇神は日向三代と配偶神の総称です。十社大明神は三毛入野命をはじめとする10柱を祀っています。
  • 宮地嶽神社【福岡県】の神紋(家紋)

    宮地嶽神社。創建は、約1700年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。 古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。 以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。 当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。(宮地嶽神社ホームページより)

  • 明石元二郎の家紋

    明石元二郎の家紋1864年9月1日 – 1919年10月26日、 陸軍軍人。
    黒田藩士・明石助九郎の次男として福岡の大名町に生まれる。関ヶ原の戦い、大坂の役で戦ったキリシタン武将、明石全登の末裔といわれている。日露戦争では諜報活動で活躍。陸軍大将・勲一等・功三級・男爵。第7代台湾総督。

    家紋は丸に撫子紋
  • 青木達之の家紋

    青木達之の家紋1966年8月15日 - 1999年5月2日、 ドラマー、作曲家。
    東京都出身。日本を代表するスカバンド、「東京スカパラダイスオーケストラ」の結成当時からのドラマーとして活躍。小泉今日子などにも曲を提供。列車事故で急逝。画像は多磨霊園の青木家の墓所にて撮影。

    家紋は亀甲紋
  • 青山孝史の家紋

    青山孝史の家紋1951年8月10日 - 2009年1月28日、 歌手、タレント。
    佐賀県佐賀市高木瀬町出身。本名は、城下孝行。1970年代を代表する男性アイドルグループ・フォーリーブスのメンバー。愛称は「ター坊」。グループにおいて音楽面でのリーダー的存在であった。

    家紋の菊水紋は、高尾霊園にある墓所の写真にて確認。
  • 芥川龍之介の家紋

    芥川龍之介の家紋芥川龍之介 。1892年3月1日 - 1927年7月24日、 小説家。
    東京市京橋区出身。「羅生門」「鼻」「芋粥」「歯車」等代表作多数。友人にあてた遺書に「唯ぼんやりした不安」との理由を残し服毒自殺。死後、芥川の業績を記念して菊池寛が創設した芥川賞直木賞と並ぶ文学賞となる。画像は巣鴨・慈眼寺にて撮影。

    家紋は五七の桐紋
  • 安藝ノ海節男の家紋

    安藝ノ海節男の家紋1914年5月30日 - 1979年3月25日、 大相撲力士。
    広島県広島市に食料品商の家に出生。本名は永田節男。第37代横綱。双葉山の70連勝を阻止した一番は世紀の名勝負といわれた。その後、双葉山には9連敗し二度と勝てなかった。幕内最高優勝:1回。金星は双葉山に勝った一番だけ。画像は正覚寺にて撮影。

    家紋は丸に丸に梅鉢紋
  • 高岡早紀の家紋

    高岡早紀の家紋1972年12月3日 -、 女優。
    神奈川県藤沢市出身。本名は高岡佐紀子。元夫は俳優の保阪尚希。映画 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』に出演し、ヌードを披露。日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞などを受賞。画像は、実妹の高岡由美子のオフィシャルブログにて確認。

    家紋は違い矢紋
  • 正力松太郎の家紋

    正力松太郎の家紋1885年4月11日 - 1969年10月9日、 実業家。
    富山県射水郡枇杷首村出身。土建請負業を営む正力庄次郎の次男。読売新聞社の経営者として同新聞の部数拡大に成功。また、長らく巨人軍のオーナーを務め、その業績を称え、正力松太郎賞が設立される。

    家紋は横木瓜紋