家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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島岡吉郎の家紋
1911年6月4日 - 1989年4月11日、 明大野球部監督。
長野県下伊那郡市田村出身。愛称は御大。ラグビー部の北島忠治監督と共に、明治大学の名物監督として知られ、東京六大学リーグ戦優勝15回は、監督として歴代1位。1991年に競技者表彰で野球殿堂入りした。
家紋の丸に中陰片喰紋は、墓所写真にて確認。
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池田七三郎の家紋
1849年12月27日 - 1938年1月16日、 新選組隊士。
上総国山辺郡田間村出身。商人の三男。本名は、稗田利八。新選組に入隊し、鳥羽・伏見の戦いや甲陽鎮撫隊に参加。その後、会津へ出陣し、母成峠の戦いで敗れると斎藤一らと会津に残留。
家紋の丸に剣柏紋は麻布台・真浄寺にて撮影。
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大川博の家紋
1896年12月29日 - 1971年8月17日、 実業家。
新潟県西蒲原郡加奈居村出身。五島慶太にヘッドハンティングされ東急電鉄に入社。東京映画配給(東映)社長に就任。プロ野球・東映フライヤーズのオーナー。東映動画のアニメーション制作にも進出。
家紋は丸に剣木瓜紋。画像は多磨霊園にて撮影。
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今野大力の家紋
今野大力。1904年2月5日 - 1935年6月19日、 詩人。
宮城県伊具郡丸森町出身。読みは、こんのだいりき。日本プロレタリア文化連盟(コップ)の結成に参加し、『プロレタリア文学』などに反戦詩を発表。宮本百合子の小説「小祝の一家」は今野をモデルにしている。
家紋の丸に違い鷹の羽紋は多磨霊園にて撮影。
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笑福亭鶴瓶の家紋
1951年12月23日 -、 落語家、タレント。
大阪府中河内郡出身。本名は、駿河学。「鶴瓶の家族に乾杯」「ザ!世界仰天ニュース」など多くのレギュラー番組を持つ。家紋の三つ柏紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。
落語家としての家紋は笑福亭の定紋の五枚笹紋。
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黒瀬義門の家紋
1846年2月24日 - 1919年9月1日、 陸軍軍人。
備前国出身。読みは、くろせよしかど。台湾守備隊司令官に発令され日露戦争を迎えた。日清・日露戦争での功績により男爵を叙爵し華族となり、貴族院男爵議員に選出される。最終階級は陸軍中将。
家紋の三つ鬼蔦紋は、「華族家系大成」による。
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大鳥圭介の家紋
大鳥圭介。1833年4月14日 - 1911年6月15日、 幕臣、官僚。
播磨国赤穂郡赤松村の医師・小林直輔の子として生まれる。戊辰戦争では主戦論を唱え、伝習隊を率いて宇都宮や今市、会津を転戦。榎本武揚と合流するが、箱館五稜郭で降伏して投獄された。出獄後、新政府に出仕して殖産興業政策に貢献した。
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東貴博の家紋
1969年12月31日 - 、 お笑いタレント。
東京都台東区浅草出身。コメディアンの東八郎の次男。本名は飛田貴博。萩本欽一の勧めで欽塾へ弟子入り。深沢邦之とtake2を結成。テレビタレントとして幅広く活躍。2012年5月に安めぐみと結婚。画像は父親・東八郎の墓所にて撮影。
家紋は九曜紋。
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武田麟太郎の家紋
武田麟太郎。1904年5月9日 - 1946年3月31日、 小説家。
大阪府大阪市南区日本橋筋出身。『文藝春秋』に「暴力」を発表しプロレタリア作家としての地位を築く。川端康成・小林秀雄らと『文學界』を創刊。代表作は「日本三文オペラ」「井原西鶴」等。
家紋は丸に違い鷹の羽紋。画像は西多摩霊園にて撮影。
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高島平三郎の家紋
1865年11月18日 - 1946年2月15日、 教育者。
備後出身。福山藩士であった高島賢斎の三男。日本体育会体操学校校長、日本女子大学校教授、立正高等女学校校長、日蓮宗大学、東洋大学教授などを務める。体育学の構築に大きく寄与した。
家紋の丸に剣片喰紋は、池上本門寺の墓所にて撮影。
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