家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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明石家さんまの家紋
1955年7月1日 - 、 お笑いタレント、俳優。
奈良県出身。本名は杉本高文。笑福亭松之助に弟子入り。当初の芸名は「笑福亭さんま」。タモリ、ビートたけしとの3人で日本のお笑い芸人BIG3と称される。「男女7人夏物語」などテレビドラマにも多数出演。
五枚笹は笑福亭一門の定紋。
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秋田実季の家紋
1576年 - 1660年1月11日、 武将、大名。
安東愛季の長男。読みは、あきたさねすえ。豊臣秀吉より出羽・秋田5万2千石の安堵を認められたが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康に常陸・宍戸に転封される。嫡男の俊季の代に陸奥・三春に移され、幕末まで存続した。
家紋は檜扇に違い鷲の羽紋。
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東海林太郎の家紋
1898年12月11日 - 1972年10月4日、 歌手。
秋田県秋田市台所町二番地に出生。ロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌う戦前を代表する歌手。戦後は不遇の時代が続いた。代表ヒット曲は「赤城の子守唄」「愛国行進曲」「麦と兵隊」。
家紋はジャケット写真より丸に花菱紋と判断。
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渡辺崋山の家紋
渡辺崋山 。1793年10月20日 - 1841年11月23日、 政治家・画家。
田原藩士である父・渡辺定通の長男として生まれる。代表画は「鷹見泉石像」「佐藤一斎像」など。幕府の保守的海防方針を批判し、国元田原で蟄居(蛮社の獄)。地元、田原中学校の校章もこの甲貝を使用。画像は谷中霊園、息子の小華の墓で撮影。
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石田一松の家紋
1902年11月18日 - 1956年1月11日、 演歌師、議員。
広島県安芸郡出身。父は井戸堀職人。大学卒業後、『酋長の娘』を作詞・作曲し大ヒットする。代表曲は『のんきな父さん』『いやぢゃありませんか』『のんき節』等。タレント議員のはしり。画像は谷中・安立院の墓所にて撮影。
家紋は丸に木瓜紋。
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石黒敬七の家紋
石黒敬七 。1897年8月10日 - 1974年10月1日、 柔道家、随筆家。
新潟県柏崎比角出身。警視庁で柔道師範を務める。渡仏しオペラ座で柔道のエキジビジョンを行う。戦後はNHKのラジオ番組「とんち教室」に出演。写真のコレクターとしても有名。著書「柔道千畳敷」がある。了ごん寺墓地にて撮影。
家紋は丸に花蕨紋。
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石田波郷の家紋
1913年3月18日 - 1969年11月21日、 俳人。
愛媛県温泉郡垣生村出身。本名は石田哲大。読みは、いしだはきょう。久保田万太郎を慕って句作に専念する。代表句集『鶴の眼』『酒中花』。人間諷詠の道を辿り中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と呼ばれた。
家紋は五瓜に抱き茗荷紋。
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青江三奈の家紋
1941年5月7日 - 2000年7月2日、 歌手。
東京都江東区出身。「伊勢佐木町ブルース」「長崎ブルース」「池袋の夜」などのヒット曲を持つ。紅白歌合戦に16年連続出場。亡くなる約2か月前に病床で作曲家・花礼二(本名:鈴木礼二)との婚姻届にサインし結婚。
家紋の稲の丸紋は鎌倉霊園にて撮影。
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赤松満祐の家紋
赤松満祐 。1381年 - 1441年9月25日、 守護大名。
播磨・美作・備前の守護大名・赤松義則の子。読みは、あかまつみつすけ。二度に渡って侍所頭人を務め幕府内の長老格として権勢を振るう。結城合戦の祝勝会として足利義教を自邸に招き暗殺(嘉吉の乱)するが派遣された幕府軍に敗北した。
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中川清秀の家紋
中川清秀 。1542年 - 1583年6月10日、 武将。
はじめ摂津の豪族であった池田勝正に仕えた。清和源氏頼光流の多田源氏の後裔。本能寺の変で信長が横死した後は羽柴秀吉につき、山崎の戦いで大いに活躍した。賤ケ岳の戦いにも秀吉方先鋒二番手として参戦したが、戦死。
家紋は中川車と中川柏。
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