家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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鳥居清信の家紋
鳥居清信。1664年 - 1729年8月22日、 浮世絵師。
大坂出身。父とともに大坂から江戸難波町に下る。歌舞伎の看板絵を描いていて評判となる。荒々しい演技の表現に努め「ひょうたん足みみず描き」といわれる画法を凝らした。鳥居派の様式的な基礎を築く。画像は池之端・妙顕寺にて撮影。
家紋は五三桐紋。
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砂田重政の家紋
1884年9月15日 - 1957年12月27日、 政治家。
愛媛県出身。1920年に立憲国民党から衆議院議員に初当選。第2次鳩山内閣にて防衛庁長官として入閣。保守合同後は自由民主党で総務会長を務める。千鳥ケ淵戦没者墓苑の建設に熱心に取り組んだ。画像は小平霊園にて撮影。
家紋は桔梗紋と蛇の目紋。
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関根正二の家紋
1899年4月3日 - 1919年6月16日、 洋画家。
福島県西白河郡大沼村出身。伊東深水は友人。代表作・「信仰の悲しみ」は日本の近代洋画史を代表する傑作の一つと評され、重要文化財の指定を受ける。画像は、江東区・重願寺にある墓所(姉の嫁ぎ先の奥田家)にて撮影。
家紋は藤輪に菊座橘紋。
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倉田百三の家紋
1891年2月23日 - 1943年2月12日、 劇作家。
広島県庄原市出身。西田天香の一灯園で深い信仰生活を送る。代表作『出家とその弟子』 は鎌倉時代に浄土真宗を創始した親鸞とその弟子唯円との物語を描いた戯曲。発表とともに当時の青年たちに熱狂的に支持される。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に梅鉢。
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青木昆陽の家紋
青木昆陽 。1698年6月19日 - 1769年11月9日、 儒学者、蘭学者。
江戸日本橋小田原町の魚屋の一人息子として生まれる。京都の儒学者・伊藤東涯に私淑して儒学を学ぶ。徳川吉宗の命を受け、薩摩芋の試作に成功。後に薩摩芋の栽培が普及し天明の大飢饉では多くの人々の命を救う。画像は目黒・滝泉寺にて。
家紋は丸に剣片喰。
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長曾我部元親の家紋
長曾我部元親 。1539年 - 1599年9月12日、 武将。戦国大名。
土佐国出身。家系は秦の始皇帝を祖とする秦河勝の血筋と言う。家督を継いで国人から戦国大名に成長し阿波の三好氏、讃岐の十河氏、伊予の河野氏らを破って四国の覇者となるが豊臣秀吉に敗れ土佐一国に減知となる。
家紋の七つ片喰紋は「見聞諸家紋」より。
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千葉胤明の家紋
千葉胤明 。1864年7月14日 - 1953年6月25日、 歌人。
肥前佐賀出身。最初、佐野常民に師事、竜地会事務職に就く。高崎正風に師事し、和歌を学ぶ。宮内省御歌所勤務。御歌所寄人を務める。明治天皇御製編纂に従事し、後に長く歌会始点者も務める。画像は青山霊園にて撮影。
家紋は浮線蝶紋。
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下岡蓮杖の家紋
1823年3月24日 - 1914年3月3日、 写真家。
伊豆国下田中原町出身。読みは、しもおかれんじょう。通称は久之助。父は浦賀船改御番所の元、下田問屋六十三軒衆の一人だった。横浜を中心に活躍した上野彦馬らと並ぶ日本最初期の写真家。
家紋の丸に三つ並び日の丸矢紋は肖像写真より判断。
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岡内重俊の家紋
1842年5月11日 - 1915年9月20日、 司法官。
土佐国土佐郡に藩士岡内清胤の長男として出生。読みは、おかうちしげとし。海援隊に入り秘書役として活躍。維新後、岩倉具視、伊藤博文らと共に征韓論に抗して高知の征韓論者説得に努めた。画像は谷中霊園にて撮影。
家紋は丸に亀甲に武田菱紋。
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大山綱良の家紋
大山綱良 。1825年12月15日 - 1877年9月30日、 政治家。
薩摩国出身。西郷隆盛、大久保利通らとともに精忠組に所属。寺田屋事件では、過激派藩士の粛清に加わる。新政府では廃藩置県後に、鹿児島県の大参事、権令(県令)となる。西南戦争では官金を西郷軍に提供した。
家紋は隅立て四つ目結紋。
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