家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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武田麟太郎の家紋
武田麟太郎 。1904年5月9日 – 1946年3月31日、 小説家。
大阪府大阪市南区日本橋筋出身。『文藝春秋』に「暴力」を発表しプロレタリア作家としての地位を築く。川端康成・小林秀雄らと『文學界』を創刊。代表作は「日本三文オペラ」「井原西鶴」等。
家紋は丸に違い鷹の羽紋。
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竹田敏彦の家紋
竹田敏彦 。1891年7月15日 – 1961年11月15日、 小説家。
香川県仲多度郡多度津町生まれ。本名は敏太郎。「大阪毎日新聞」記者をへて新国劇に入り文芸部長を務める。のち小説家として多くを書いた。代表作は「薔薇夫人」「母は強し」。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。
家紋は亀甲に頭合わせ三つ雁金紋。
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武田鉄矢の家紋
武田鉄矢 。1949年4月11日 -、 俳優、歌手。
福岡県福岡市博多区出身。両親は熊本県小国町の出身。海援隊でデビュー。代表曲は「母に捧げるバラード」「贈る言葉」「思えば遠くへ来たもんだ」。俳優としては『3年B組金八先生』の金八先生役があまりにも有名。
家紋は丸に割菱紋。
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竹田恒泰の家紋
竹田恒泰。1975年 – 、 法学者。
東京都出身。家系は伏見宮家より分かれた北白川宮家の分家にあたる竹田宮家。明治天皇の女系の玄孫に当たり、皇太子徳仁親王の三いとこにあたる。竹田恒和は父。
家紋の横見菊は、「たかじんのそこまで言って委員会」出演時の紋付より。
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竹添進一郎の家紋
竹添進一郎 。1842年4月25日 – 1917年3月29日、 漢学者。
熊本藩出身。熊本藩士として藩命により国事に奔走。維新後、天津領事となる。1882年の壬午の変の後、朝鮮弁理公使となり、甲申政変を起こす。東京大学教授となり、『桟雲峡雨日記』『左氏会箋』を残す。
家紋は源氏車紋。画像は護国寺にて撮影。
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竹下登の家紋
竹下登 。1924年2月26日 – 2000年6月19日、 政治家。
島根県飯石郡掛合村に竹下勇造・唯子の長男として生まれる。生家の竹下家は江戸時代には庄屋を務め幕末から現在まで代々造り酒屋を営む素封家。内閣総理大臣(第74代)、衆議院議員(14期)を務めた。ミュージシャンのDAIGOが孫にあたる。
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竹崎季長の家紋
竹崎季長 。1246年 – 不詳、 武士。
肥後国竹崎郷の出身。菊池氏の一族であったが、同族内の所領争いに敗れて没落。文永の役(元寇)では、博多において箱崎の少弐景資の軍に参陣した。自身の戦いを描かせた『蒙古襲来絵詞』で知られる。
家紋は三つ目に吉の字紋と四つ目結紋。
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竹越與三郎の家紋
竹越與三郎 。1865年11月22日 – 1950年1月12日、 歴史学者。
武蔵国本庄宿出身。湯浅治郎の紹介で徳富蘇峰と知り合い、民友社及び『国民新聞』の創刊の手伝いをする。また、山路愛山とも親交を結び、帝国主義的海外膨張論の南進論を主張した。画像は多磨霊園にて撮影。
家紋は丸に十五枚笹紋。
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武内桂舟の家紋
武内桂舟。1861年11月13日 – 1942年1月3日、 挿絵画家。
紀州藩江戸藩邸に生まれる。父・武内半介は、留守居役の紀州藩士で勝海舟と親しかったという。一時、月岡芳年の元で学ぶ。尾崎紅葉、山田美妙、巌谷小波らの文学結社「硯友社」に参加し挿絵を描いた。
家紋はの笹竜胆紋。
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武井武雄の家紋
武井武雄 。1894年6月25日 – 1983年2月7日、 童画家。
長野県平野村出身。裕福な地主の家に生まれる。子供向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。村山知義等とともに日本童画家協会を結成。恩地孝四郎の推薦で日本版画協会会員となる。紫綬褒章受章。
家紋は割り菱紋。
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