家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 小沢一郎の家紋

    小沢一郎の家紋小沢一郎。1942年5月24日 -、 政治家。
    東京市出身。本籍地は奥州市。自治大臣、国家公安委員長、自民党幹事長、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党代表、国民の生活が第一代表、生活の党代表を歴任。画像は水沢市・伯済寺小沢家墓所にて撮影。

    家紋は丸に三階菱紋
  • 尾崎翠の家紋

    尾崎翠の家紋1896年12月20日 - 1971年7月8日、 小説家。
    鳥取県岩美郡出身。読みは、おざきみどり。「女人芸術」に映画評『映画漫想』を連載。短篇「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」発表。近年、映画化されるなど評価が高まっている。

    家紋の石持ち地抜き剣片喰紋は鳥取市養源寺の墓所にて撮影。
  • 鶴岡一人の家紋

    鶴岡一人の家紋1916年7月27日 - 2000年3月7日、 プロ野球監督。
    広島県呉市出身。法政大学では初の連覇に貢献するなど花形スター・主将として活躍。南海ホークスの黄金時代を築いた名監督で、日本プロ野球史を代表する指導者の一人。史上最多勝監督。

    家紋の丸に抱き茗荷紋は西本願寺堺別院にて撮影。
  • 鶴彬の家紋

    鶴彬の家紋1909年1月1日 - 1938年9月14日、 川柳作家。
    石川県河北郡高松町に竹細工職人の子として生まれ、叔父・喜多弁太郎の養子となる。本名は喜多一二。読みは、つるあきら。プロレタリア文学の影響を受けた反戦的な川柳を多く残し治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監される。

    家紋は丸に釘抜き紋
  • 露の五郎(2代)の家紋

    露の五郎(2代)の家紋1932年3月5日 - 2009年3月30日、 上方噺家。
    祖父母は京都市下賀茂の映画撮影所の裏で芝居や舞踊の稽古場を営んでいた。本名は、明田川一郎。2代目桂小春団治を襲名。上方落語協会会長も務める。双子の娘がおり、姉は女優の綾川文代で自身も「露のききょう」を名乗る。

    家紋は中陰桔梗紋
  • 杉浦重剛の家紋

    杉浦重剛の家紋1855年4月19日 - 1924年2月13日、 教育者・思想家。
    近江国膳所藩の儒者・杉浦重文の次男。読みは、すぎうらじゅうごう。若き日の昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王の3兄弟に倫理を進講。後に人格高邁の国士と評され理学宗の世界観を確立。画像は伝通院にて撮影。

    家紋は丸に剣片喰紋と向う梅紋
  • 角藤定憲の家紋

    角藤定憲の家紋1867年8月 - 1907年1月20日、 壮士芝居の座長。
    岡山出身。生家は士族。読みは、すどうさだのり。中江兆民の自由党機関紙『東雲新聞』に入り、自伝小説『剛胆の書生』を連載。『日本改良演劇一座』を結成した。新派の祖とも呼ばれている。

    家紋の上り藤紋は、紋付を着た肖像写真にて確認。
  • 仙石秀久の家紋

    仙石秀久の家紋仙石秀久 。1552年2月20日 - 1614年6月13日、 武将・大名。
    美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。秀吉最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。

    家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。
  • 浅田栄次の家紋

    浅田栄次の家紋浅田栄次。1865年5月22日 - 1914年11月10日、 英語学者。
    徳山藩出身。東京帝国大学(現:東京大学)にて数学を学んだ後、渡米して神学と言語学を学ぶ。帰国後、東京外国語学校(現:東京外国語大学)などにおいて英語教育に尽力した。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

    家紋は隅切り鉄砲角に二引両紋。
  • 秋月種実の家紋

    秋月種実の家紋秋月種実。1548年 - 1596年11月16日、 戦国大名。
    筑前国出身。秋月文種の次男。読みは、あきづきたねざね。秋月氏の第16代当主。島津氏大友氏の争いの中で大友領を侵食し、36万石にも及ぶ広大な所領を有した。豊臣秀吉の九州征伐では、豊臣勢と戦ったが敗北した。

    家紋は三つ盛撫子紋