家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • ジョージ川口の家紋

    ジョージ川口の家紋1927年6月15日 - 2003年11月1日、 ドラム奏者。
    京都市出身。本名は川口譲二。終戦直後、松本英彦、中村八大、小野満と共にバンドビッグ4を結成して活躍。大衆的人気を誇った。越路吹雪のバンドロイヤルポップスオーケストラのドラムとしても活躍。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に橘紋
  • 城泉太郎の家紋

    城泉太郎の家紋城泉太郎。1856年8月17日 - 1936年1月8日、 教育者。
    越後長岡藩士・河井資信の長男として生まれる。河井継之助は親戚筋。徳島慶應義塾の二代目校長となる。後に英学の教師をし、自由民権運動に携わる。『通俗進化論』、翻訳書『経世危言』を刊行。墓所のある禅林寺にて撮影。

    家紋は丸に揚羽蝶紋
  • 曙太郎の家紋

    曙太郎の家紋1969年5月8日 - 、 大相撲力士。
    アメリカ、ハワイ州オアフ島出身。東関部屋の元大相撲力士。第64代横綱。1996年に日本に帰化。幕内優勝:11回。通算成績:654勝232敗181休 勝率.738 。引退後は、格闘家、プロレスラーとして活躍。

    家紋は現役横綱時代の化粧回しのデザインから判断。
  • 赤松小三郎の家紋

    赤松小三郎の家紋1831年5月15日 - 1867年9月30日、 政治思想家。
    信濃国上田城下に上田藩士・芦田勘兵衛の次男として生まれ、のち、同藩士・赤松弘の養子となる。江戸に遊学し、勝海舟に師事。『英国歩兵練法』を出版。松平春嶽に対して「御改正之一二端奉申上候口上書」を提出。

    家紋の竜胆車は赤松家墓所写真にて確認。
  • 青井忠治の家紋

    青井忠治の家紋1904年3月30日 - 1975年8月18日、 実業家。
    富山県小杉町出身。生家は旧家の分家。高校卒業後、月賦販売商・丸二商会に入社。中野店を譲り受けて独立。商号を「丸井」に改め、同社を月賦百貨店業界のトップ企業に育て上げた。画像は中野・宝仙寺の墓所にて撮影。

    家紋は丸に横木瓜
  • 高嶺秀夫の家紋

    高嶺秀夫の家紋1854年10月5日 - 1910年2月22日、 教育学者。
    陸奥国若松城下出身。会津藩主松平容保の小姓。会津戦争では籠城の末、降伏。米留学帰国後、東京高等師範学校長、東京女子高等師範学校長、東京美術学校長、東京音楽学校長を歴任。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

    家紋は左三つ巴紋
  • 小渕恵三の家紋

    小渕恵三の家紋1937年6月25日 - 2000年5月14日、 政治家。
    群馬県吾妻郡中之条町出身。自民党内では保守本流を歩き、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長、外務大臣などを歴任後、第84代内閣総理大臣に就任。菩提寺にて確認させていただきました。

    家紋は丸に違い鷹の羽
  • 尾竹紅吉の家紋

    尾竹紅吉の家紋1893年3月4日 - 1966年9月22日、 運動家。
    富山出身。本名は、尾竹一枝。読みは、おたけこうきち。日本画家・尾竹越堂の長女。尾竹竹坡は叔父。青鞜社入社後、表紙などを担当。青鞜社退社後に富本一枝という筆名で評論を発表。。画像は谷中霊園の尾竹家の墓所にて撮影。

    家紋は丸に三つ立ち柏紋。
  • 荻昌弘の家紋

    荻昌弘の家紋1925年8月25日 - 1988年7月2日、 映画評論家。
    東京都出身。TBSテレビ月曜ロードショー』の解説者、日本レコード大賞の審査員を務めた。食通としても知られ、「男の料理」の先駆者でもあり、その方面の著書も多い。画像は谷中の本行寺にて撮影。

    家紋の抱き荻に対い雀紋は新紋かと思われる。
  • 鍋島直正の家紋

    鍋島直正の家紋1815年1月16日 - 1871年3月8日、 大名。
    父の隠居の後を受け17歳で第10代藩主に襲封。藩校弘道館を拡充し優秀な人材を育成し登用するなどの教育改革を行う。アームストロング砲など最新式の西洋式大砲や鉄砲の自藩製造に成功した。青山墓地の鍋島氏の墓所にて撮影。

    家紋は鍋島杏葉