家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 陣幕久五郎の家紋

    陣幕久五郎の家紋1829年6月4日 - 1903年10月21日、 大相撲力士。
    出雲国意宇郡出身。第12代横綱。徳島藩、松江藩の抱え力士を経て最後は薩摩藩の抱え力士となる。通算成績は幕内19場所87勝5敗17分3預65休、勝率.946。優勝相当成績5回。

    家紋の丸に十字は薩摩藩のお抱え力士ゆえか。
  • 杉狂児の家紋

    杉狂児の家紋1903年7月8日 - 1975年9月1日、 俳優。
    福岡県福岡市地行東町出身。本名は、杉禎輔。戦前はマキノ・プロダクション、河合映画、日活などに出演し、歌手として「うちの女房にゃ髭がある」など映画の主題歌も歌っている。家紋画像は、世田谷区北烏山・妙寿寺にて撮影。

    家紋は立ち梶の葉紋
  • 調所広郷の家紋

    調所広郷の家紋調所広郷。1776年3月24日 - 1849年1月13日、 薩摩藩の家老
    薩摩国出身。城下士・川崎兼高の息子として生まれ調所清悦の養子となる。本姓は藤原氏。薩摩藩の財政は500万両にも及ぶ膨大な借金を強引な行政改革、農政改革、財政改革等で乗り切る。青山霊園の調所家の墓所にて撮影。

    家紋は丸に桔梗紋
  • 鈴木三樹三郎の家紋

    鈴木三樹三郎の家紋1837年8月15日 - 1919年7月11日、 武士。
    常陸国志筑出身。鈴木専右衛門忠明の二男。伊東甲子太郎は実兄。尊王攘夷運動に奔走すべく脱藩。新選組に加盟し、九番隊組長となるが、後に、御陵衛士に属し、油小路事件にて薩摩藩邸に保護される。

    家紋の三つ葉竜胆紋は墓所写真にて確認。
  • 角倉了以の家紋

    角倉了以の家紋1554年 - 1614年8月17日、 豪商。
    近江国犬上郡吉田村出身。本姓は吉田氏。佐々木氏の分家。朱印船貿易の開始とともに安南国などとの貿易を行う。幕命により大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削を行った。画像は雑司ヶ谷霊園の別の角倉家墓所にて撮影。

    家紋は扇地紙に片喰紋。
  • 銭屋五兵衛の家紋

    銭屋五兵衛の家紋1774年1月7日 - 1852年12月31日、 海運業者。
    加賀国出身。朝倉氏の末裔を称する。両替商のほか醤油醸造・古着商などを手広く営む家系。蝦夷地や択捉島ではロシアと通商するなど密貿易を行い巨万の富を得る。河北潟の干拓・開発工事を請け負うが失敗。結局は獄死し、財産没収・家名断絶された。

    家紋は橘紋
  • 園田孝吉の家紋

    園田孝吉の家紋1848年2月23日 - 1923年9月1日、 官僚、実業家。
    大隅国太良村出身。薩摩藩士・宮内健吉の長男。のち、同藩士・園田沢右衛門の養子となる。松方正義の推薦により横浜正金銀行頭取となる。後に東京倶楽部理事や帝国運輸倉庫社長など数多の会社役員を務める。画像は青山霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に洲浜
  • 池上秀畝の家紋

    池上秀畝の家紋1874年10月10日 - 1944年5月26日、 日本画家。
    長野県上伊那郡高遠町出身。紙商兼小間物屋の次男。読みは、いけがみしゅうほ。荒木寛畝に文人画をまなび、文展で3年連続特選。帝展では無鑑査となる。山水・花鳥画を得意とした。代表作は『初冬』等。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。

    家紋は浜紋
  • 勢翔太の家紋

    勢翔太の家紋1986年10月11日 - 、 大相撲力士。
    大阪府交野市出身。本名は、東口翔太。身長194cm、体重169kg。血液型はB型。18歳の時に伊勢ノ海部屋に入門。新入は2012年3月場所。最高位は東小結(2016年1月場所)。

    家紋の井桁に立ち沢瀉紋は、十両昇進時の化粧まわしから判断。
  • 飯田武郷の家紋

    飯田武郷の家紋1828年1月22日 - 1900年8月26日、 国学者。
    高島藩出身。読みは、いいだたけさと。脱藩して上京し尊王攘夷運動に参加。親交があった赤報隊隊長・相楽総三を葬ったという。『日本書紀』の注釈書「日本書紀通釈」を完成させた。東京帝大などで古典を教えた。画像は青山霊園にて撮影。

    家紋は七曜紋