家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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高松喜六の家紋
1600年代 - 1713年10月7日、 名主。
江戸浅草阿部川町の名主。読みは、たかまつきろく。元禄11年、あたらしい宿場開設を幕府に願いでて、内藤氏屋敷前に内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主となった。画像は四谷・愛染院にて撮影。
家紋は抱き鷹の羽に変わり「高」の文字紋。
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渡辺鐘の家紋
1969年8月27日 - 、 お笑いタレント、放送作家。
滋賀県高島郡安曇川町出身。読みは、わたなべあつむ。吉本興業所属。愛称はナベアツ。世界のナベアツと呼ばれ「3の倍数と3が付く数字のときだけアホになります」というギャグで一世を風靡。画像は自身のブログから転載。
家紋は丸に渡辺星紋。
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高田早苗の家紋
1860年4月4日 - 1938年12月3日、 政治家、教育家。
東京深川生まれ。東京専門学校(現在の早稲田大学)の設立に参加。第1回衆議院議員総選挙に全国最年少で当選。衆議院議員、貴族院議員、早稲田大学総長、文部大臣などを歴任した。画像は染井霊園の墓所にて撮影。
家紋は大割り蔦紋。
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丸に違い鷹の羽紋
精悍で美しい鷹、その羽を紋章化したものです。勇猛な鳥ということから武将の間で人気が高い家紋です。江戸時代には大名・旗本で百家以上が用いていました。鷹そのものを図案化したものもあり、広げた羽で羽を作っているところなどは猛禽類とは思えないユーモアがある。
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朝顔紋
家紋としての歴史は比較的新しく、明治以降に作られたと考えられている。奈良時代、薬草として中国から伝来。江戸時代には観賞用として重視され、大正時代までに幾度か庶民の間で朝顔ブームが起こった。このブームが紋の成立につながっているかもしれない。
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今出川晴季の家紋
1539年 - 1617年5月3日、 公卿。
京都出身。左大臣今出川公彦の子。将軍・足利義晴からの偏諱を受けて晴季と改名。読みは、いまでがわはるすえ。関白豊臣秀次に娘の一の台を嫁がせていたため、秀次が謀反の疑いをかけられて自害を命じられた際に流罪となった。
家紋は三つ楓紋。
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井上範の家紋
1877年8月18日 - 1932年6月24日、 土木工学者。
東京市出身。本名読みは、いのうえはん。40年に大蔵省に入り、大蔵技師、内務技師を経て東京帝大の教授となる。その後、福岡県・若松港、兵庫県・神戸港、神奈川県・横浜港などの築港、改修を手がけた。画像は染井霊園の墓所にて撮影。
家紋は井桁紋。
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伊東祐亨の家紋
1843年6月9日 - 1914年1月16日、 海軍軍人。
薩摩藩士伊東祐典の四男として鹿児島城下清水馬場町に生まれる。飫肥藩主伊東氏に連なる名門の出身。戊辰戦争では旧幕府海軍との戦いで活躍。維新後は海軍の発展に貢献。最高階級は海軍大将。軍人としての生涯を全う。
家紋は庵木瓜紋。
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井関盛良の家紋
1835年 - 1890年2月13日、 官僚。
伊予国出身。読みは、いぜきもりよし。神奈川県知事、外務大丞、名古屋県権令、島根県令を務める。神奈川県知事時代に、民間人に呼びかけて横浜毎日新聞を創刊させた。家紋は抱き鬼柏紋に五瓜に唐花紋。谷中霊園の墓所にて撮影。
画像は五瓜に唐花紋。
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石川欣一の家紋
1895年3月17日 - 1959年8月4日、 ジャーナリスト。
東京出身。父は動物学者の石川千代松。母・貞は法学者・箕作麟祥の娘。妻・江は東山千栄子の妹。大阪毎日新聞社、東京日日新聞社などで記者をする傍らで、文筆業を行う。著作には『旅から旅へ』『たばこ談義』がある。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に笹竜胆。
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