家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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生島ヒロシの家紋
1950年12月24日 - 、 アナウンサー、タレント。
出身は宮城県気仙沼市。TBSにアナウンサーとして入社。『生島ヒロシのおはよう一直線』等の番組を持つ。福祉への造詣も深く義母の介護体験から『おばあちゃま、壊れちゃったの?』を出版。画像は青山・梅窓院の生島家墓所にて撮影。
家紋は笹竜胆紋。
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有田喜一の家紋
1901年4月30日 - 1986年2月9日、 政治家。
兵庫県氷上郡氷上町出身。読みは、ありたきいち。衆議院議員選挙に通算9回当選。第1次佐藤内閣第2次改造内閣に文部大臣兼科学技術庁長官として初入閣。福田赳夫の右腕といわれた。
家紋の細輪に九枚笹紋は春秋苑にて撮影。
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嶋田叡の家紋
1901年12月25日 - 1945年6月27日、 沖縄県知事。
神戸市須磨区の開業医・島田五十三郎の長男として出生。読みは、しまだあきら。高校野球で夏の県大会優勝校には「島田杯」が授与されるなど、現在でも沖縄県民に愛された知事として記憶されている。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に三つ柏紋。
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志田林三郎の家紋
1855年12月25日 - 1892年1月4日、 物理学者。
肥前国出身。日本初の工学士、工学博士となる。電気や通信、磁気や物理など幅広い研究を行ない、天才と称された。隅田川の水面を導体として用いた導電式無線通信実験は、マルコーニの無線実験より9年前に行われたという。
家紋は丸に蔦紋。
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麻田駒之助の家紋
1869年10月14日 - 1948年11月24日、 編集者。
京都出身。中央公論社初代社長。西本願寺内局に勤務し『反省雑誌』の編集に携わり後に『中央公論』と改称。また築地本願寺の財政面に参与する『勘定』として尽力。旧邸は登録文化財となっている。画像は本願寺・和田堀廟所にて撮影。
家紋は五七桐紋。
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赤尾敏の家紋
1899年1月15日 - 1990年2月6日、 保守政治家。
愛知県名古屋市出身。金物商の息子。戦前は左翼運動に身を投じるが失望し転向。建国会を組織し衆議院議員に当選。戦後は公職追放されるが大日本愛国党を結成し総裁となり各種選挙に立候補した。画像は横須賀・東光寺にて撮影。
家紋は丸に梅鉢紋。
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蛇の目紋
蛇の目に似ているために「蛇の目」と呼ばれているが、もともとは予備の弓弦を巻いておく「弦巻」を象って作られたものと言われている。ゆえに「弦巻紋」と呼ばれることもある。一方で、実は単なる丸形に武具の由来を後付けしただけ、と言う説もある。
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佐藤幸徳の家紋
1893年3月5日 - 1959年2月26日、 陸軍軍人。
山形県出身。読みは、さとうこうとく。東條英機などの統制派に属する。牟田口廉也(皇道派)に逆らい、インパール作戦において師団の独断退却を行ったことで知られる。最終階級は陸軍中将。画像は墓所写真にて確認。
家紋は源氏車紋。
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佐野利器の家紋
1880年4月1日 - 1956年12月5日、 建築家。
山形県西置賜郡荒砥村出身。生家(山口家)が没落し佐野家の養子となる。鉄骨煉瓦造の丸善書店の構造設計を行う。関東大震災後の復興事業・土地区画整理事業を推進。清水組副社長も務めた。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。
家紋は剣木瓜紋。
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沢モリノの家紋
1890年3月19日 - 1933年5月14日、 舞踏家。
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身。本名は深澤千代。同じ帝国劇場出身の石井漠らと東京歌劇座を結成、浅草公園六区の日本館で公演。後に「沢モリノ一座」で活動。朝鮮の劇場で『瀕死の白鳥』を公演中に倒れ死亡。画像は多磨霊園。
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