家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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家紋に見る薬草
家紋の柄には多くの植物が用いられています。西洋でも動物や植物を組み合わせた紋章がありますが、日本ほどバリエーションはないようです。家のしるしに植物が取り込まれているのは、日本人が古くから植物に親しみ、意匠として愛でてきたからといえるでしょう。
またその中には古くから薬草として用いられてきた虎杖・梅・タンポポなどの植物もたくさん含まれています。
内藤記念くすり博物館のサイトに詳しくなっていますので是非ご覧ください。
(引用:内藤記念くすり博物館より)
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武家に好まれなかった家紋、椿紋
椿は桜や梅と同様、古くから愛好され続けている花。秀吉や藤堂高虎など多くの武将が城の周囲に椿を植え、その絢燗たる風情を楽しんだ。しかし、花首をぽたりと落とす様が、武家の家紋としては好ましくなかったようで、旗本の山脇氏以外使用する家はほとんどなかったようである。
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春日とよの家紋
1881年9月15日 - 1962年4月13日、 小唄演奏家。
東京出身。本名は柏原トヨ。 小唄春日派の家元として財団法人春日会を設立。代表作は、「心して」「鶴八鶴次郎」等。田中角栄、谷崎潤一郎、伊東深水等の政治家、文化人との親交も深かった。
家紋の丸に村山片喰紋は上野寛永寺第三墓地にて撮影。
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魁傑將晃の家紋
1948年2月16日 - 2014年5月18日、 元大相撲力士。
山口県岩国市に生まれる。本名は西森輝門。日本大学文理学部中退。最高位は大関。引退後は放駒を襲名。日本相撲協会理事長(第11代)。幕内通算成績:367勝304敗4休 勝率.547。幕内最高優勝2回。
家紋は丸に橘紋。
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家紋ドームシールの写真を頂きました
弊社で作らせて頂いた家紋ドームシールを仏壇に貼った写真をお送りいただき、また下記のお言葉を頂戴致しました。
「自宅に帰り、小型の仏壇に頂いたシールを貼りました。家紋が入り、やっと仏壇らしくなりました。ありがとうございました。
昨今、少子化により我が家のような小型仏壇が増えていると思います。
需要はあると思います。本当にありがとうございました。」
こちらこそ誠にありがとうございました。
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松平不昧の家紋
1751年3月11日 - 1818年5月28日、 松江藩藩主。
直政系越前松平家・宗家7代。茶人としての才能は超一流で収集した茶器の銘品・銘菓は不昧公御好みとして現在にも伝えられている一方で、家老・朝日茂保の藩政改革によって潤った藩財政を茶道具道楽で潰したとも言われている。画像は護国寺にて撮影。
家紋は三つ葉葵。
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万年東一の家紋
1908年9月10日 - 1985年3月28日、 活動家、総会屋。
山形県飽海郡松嶺町出身。終戦後、愚連隊・万年一派の頭領となる。その後、松永高司が全日本女子プロレスを設立すると、初代会長に就任。右翼団体「大日本一誠会」を結成。総会屋としても活動する。
家紋は丸に羽団扇紋。
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千田是也の家紋
1904年7月15日 - 1994年12月21日、 演出家、俳優。
東京府出身。本名は伊藤圀夫。読みは、せんだこりあ。土方与志、小山内薫、丸山定夫らによる築地小劇場創立に参加。俳優座の創立メンバーの一人として亡くなるまで俳優座代表を務めた。画像は染井霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に片喰。
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添田寿一の家紋
1864年9月15日 - 1929年7月4日、 財政家・経済学者。
筑前国遠賀郡広渡村出身。職人の子。読みは、そえだじゅいち。近代日本における財政確立の功労者の一人であるとともに経済学の教育・普及に尽力。日本法律学校(現日本大学)の設立に加わった。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
家紋は七宝に花菱紋。
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園田安賢の家紋
1850年10月6日 - 1924年8月7日、 警察官僚。
薩摩国出身。藩士・園田良右衛門の長男。読みは、そのだやすかた。西南戦争に抜刀隊巡査部隊の長として従軍し、戦傷を受けた。後に、石川県警部長、警視総監、貴族院男爵議員などを歴任。
家紋の六つ丁子紋は、「華族家系大成」による。
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