家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 田久保英夫の家紋

    田久保英夫の家紋田久保英夫 。1928年1月25日 – 2001年4月14日、 小説家。
    東京都台東区浅草出身。料亭で育つ。「緑の年」を『新潮』に発表し文壇デビューする。幼少時の体験を描いた「解禁」で芥川賞候補、「深い河」で芥川賞を受賞。代表作は『深い河』『触媒』『辻火』等。画像は八柱霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に違い鷹の羽紋
  • 瀧廉太郎の家紋

    瀧廉太の家紋瀧廉太郎 。1879年8月24日 – 1903年6月29日、 作曲家。
    東京市芝区出身。読みは、たきれんたろう。瀧家は江戸時代、日出藩の家老職をつとめた上級武士の家柄。代表曲は「荒城の月」「箱根八里」「お正月」「鳩ぽっぽ」等。

    家紋の逆笹紋は、日出町教育委員会生涯学習課文化財保護係からいただいた情報より。
  • 瀧山の家紋

    瀧山の家紋瀧山 。1805年 – 1876年1月14日、 大奥御年寄。
    御鉄砲百人組・大岡義方の長女。江戸幕府12代将軍徳川家慶・13代家定・14代家茂時代の御年寄を務め江戸開城に伴い大奥の最後の幕引きをした。家紋画像は川口・錫杖寺にて撮影。

    家紋は丸に大割り蔦紋
  • 滝田栄の家紋

    滝田栄の家紋滝田栄 。1950年12月5日 – 、 俳優。
    千葉県印西市出身。第24代横綱・鳳谷太郎は大叔父。文学座の養成所を経て劇団四季で活躍。NHK大河ドラマ徳川家康』では主役を演じる。『料理バンザイ!』の司会。画像は谷中・延寿寺の鳳谷太郎(滝田明)の墓所にて撮影。

    家紋は桐車。
  • 瀧口修造の家紋

    瀧口修造の家紋瀧口修造 。1903年12月7日 – 1979年7月1日、 美術評論家。
    富山県婦負郡寒江村大塚出身。3人姉弟の長男。近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱。治安維持法違反容疑で特高に逮捕された。

    家紋は二つ雁に沢瀉紋。墓所の写真にて確認。
  • 滝川一益の家紋

    滝川一益の家紋滝川一益 。1525年 – 1586年10月21日、 戦国時代の武将。
    近江国甲賀出身。土豪・滝川資清の次男。織田信長の家臣として伊勢長島攻め、長篠の戦い、石山合戦で功を上げる。上野と信濃の一部を与えられ関東管領を名乗った。また、恩賞として、領地よりも茶器を所望したと言われている。

    家紋は丸に立木瓜紋
  • 高山樗牛の家紋

    高山樗牛の家紋高山樗牛 。1871年2月28日 – 1902年12月24日、 思想家。
    羽前国鶴岡出身。読みは、たかやまちょぎゅう。本名は高山林次郎。父は庄内藩士。伯父・高山久平の養子となる。読売新聞の懸賞小説に、『滝口入道』が入選。その後、「日本主義」を鼓吹する評論を多く書いた。

    家紋の細輪に桔梗紋絵葉書にて確認。
  • 高山右近の家紋

    高山右近の家紋高山右近 。1552年 – 1615年2月4日、 武将。
    高山氏は摂津国三島郡高山庄出身の国人領主である。信長、秀吉の家臣として活躍。山崎の戦い、四国攻め等に参戦。代表的なキリシタン大名として知られる。伴天連追放令の後、ルソンへ追放され、マニラで病没。

    家紋は七つ星
  • 高村象平の家紋

    高村象平の家紋高村象平 。1905年8月2日 – 1989年5月11日、 経済史学者。
    東京市本所区出身。読みは、たかむらしょうへい。ハンザの研究でドイツ留学。経済人類学研究者、ハンザ史研究者として著名。慶應義塾塾長、中央教育審議会会長、日本学士院会員、交詢社理事長等を歴任。画像は多磨霊園にて撮影。

    家紋は五七桐紋
  • 高村光太郎の家紋

    高村光太郎の家紋高村光太郎 。1883年3月13日 – 1956年4月2日、 彫刻家、詩人。
    東京市出身。読みは、たかむらこうたろう。妻・智恵子の実家が破産し、この頃から智恵子の健康状態が悪くなり後に統合失調症を発病。 智恵子と死別した後、詩集『智恵子抄』を出版。画像は染井霊園の墓所にて撮影。

    家紋は変り片喰桐紋。