家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 立見尚文の家紋

    立見尚文の家紋1845年8月21日 - 1907年3月6日、 陸軍軍人。
    父は桑名藩士江戸勤番・町田伝太夫。読みは、たつみなおふみ。北越戦争ではゲリラ戦を展開し、官軍を度々壊滅、敗走させた。維新以降は陸軍に入る。日露戦争の黒溝台会戦で活躍。最終階級は陸軍大将。家紋は平稲妻紋。画像は青山霊園にて撮影。
  • 徳川夢声の家紋

    徳川夢声の家紋1894年4月13日 - 1971年8月1日、 弁士、漫談家。
    島根県益田市出身。東京に育つ。本名は福原駿雄。読みは、とくがわむせい。元祖マルチタレントと言われる。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会初代理事長。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。

    家紋は丸に三つ松毬紋
  • 土井晩翠の家紋

    土井晩翠の家紋1871年12月5日 - 1952年10月19日、 詩人、英文学者。
    仙台の北鍛治町に、質屋の土井林七の長男として生まれた。本名は林吉。男性的な漢詩調詩風、第一詩集『天地有情』で島崎藤村と併称された。代表作は『荒城の月』『星落秋風五丈原』等。日本心霊科学協会の設立に顧問として関わる。

    家紋は梅鉢紋
  • 手塚猛昌の家紋

    手塚猛昌の家紋1853年12月22日 - 1932年3月1日、 実業家。
    山口県萩市須佐出身。読みは、たづかたけまさ。恩師の福沢諭吉の勧めで英国の時刻表を手本に、全国の時刻表をまとめる。現在の時刻表の基礎を築いた。「時刻表の父」として知られる。

    家紋の二の字に三つ目結紋は、青山霊園にて撮影。
  • 土屋喬雄の家紋

    土屋喬雄の家紋1896年12月21日 - 1988年8月19日、 経済学者。
    東京都出身。読みは、つちやたかお。日本経済史専攻。日本資本主義論争では労農派の論客として活躍。人民戦線事件に連座し、大学を追放される。戦後、大学復帰。東京大学名誉教授。

    家紋の三つ石紋は多磨霊園の墓所にて撮影。
  • 千葉卓三郎の家紋

    千葉卓三郎の家紋1852年8月2日 - 1883年11月13日、 運動家。
    陸奥国栗原郡出身。仙台藩士・千葉宅之丞の子。戊辰戦争に出征するも敗戦を経験。現日本国憲法に近い基本的人権の尊重を重視した私擬憲法「日本帝国憲法」(通称:五日市憲法)の起草者として知られる。

    家紋の真向き月に八曜紋は墓所写真にて確認。
  • 高田屋嘉兵衛の家紋

    高田屋嘉兵衛の家紋1769年2月7日 - 1827年4月30日、 廻船業者。
    淡路島の農民の子として生まれる。家18歳で廻船業者を志して出て、後に本格的に廻船業、蝦夷地経営へ乗り出す。ゴローニン事件でカムチャツカ半島へ連行されるが、翌年帰国。司馬遼太郎の歴史小説『菜の花の沖』で有名になる。

    紋は丸に違い柏紋
  • 内藤鳴雪の家紋

    内藤鳴雪の家紋1847年4月15日 - 1926年2月20日、 俳人。
    伊予松山藩の上級武士内藤房之進の長男。正岡子規を俳句の師とし高浜虚子のホトトギス、万朝報、読売新聞等の俳句選者になる。

    家紋は内藤氏固有紋・輪鼓に手鞠の手鞠を三日月に輪鼓を杵に見立てた真向い月に杵紋。画像は青山霊園にて撮影。
  • 鳥山石燕の家紋

    鳥山石燕の家紋1712年 - 1788年9月22日、 画家、浮世絵師。
    本名は佐野豊房。狩野派門人。『画図百鬼夜行』により妖怪絵師としての地位を確かなものとする。続けて『今昔画図続百鬼』を刊行。弟子も多く喜多川歌麿、恋川春町などを育てた。顔画像は石燕が描いたぬらりひょん。

    家紋は丸に隅合せ三つ目結紋。
  • 栃東大裕の家紋

    栃東大裕の家紋1976年11月9日 - 、 元大相撲力士。
    東京都足立区出身。元関脇・栃東知頼の次男。玉ノ井部屋に所属。序の口から幕の内まで各段優勝を果たす。最高位は大関。現在は年寄・14代玉ノ井。幕内最高優勝:3回。通算成績:560勝317敗169休(75場所)。

    家紋は丸に三つ引両