家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 奥野昌綱の家紋

    奥野昌綱の家紋1823年5月14日 - 1910年12月12日、 牧師。
    江戸幕府の下級武士である徒士竹内五郎左衛門直道の三男として、江戸に生まれた。49歳でS.R.ブラウンより洗礼を受け、日本各地で伝道旅行をした。文語訳聖書の翻訳や日本賛美歌のために大きな貢献をした。画像は青山霊園にて撮影。

    家紋は花菱紋
  • 岡田茂の家紋

    岡田茂の家紋1924年3月2日 - 2011年5月9日、 映画プロデューサー。
    広島県賀茂郡西条町出身。東映”中興の祖”と言われ、「日本映画界のドン」と呼ばれる。戦後、日本の娯楽産業を創った人物の一人。晩年は、東映名誉会長、東京急行電鉄取締役を務めた。

    家紋の折敷に変り根笹紋は葬儀の時の幕の写真にて確認。
  • 大妻コタカの家紋

    大妻コタカの家紋1884年6月21日 - 1970年1月3日、 教育家。
    広島県世羅郡出身。コタカは忙しい時に『困った児』が訛ったもの。主著に『現代裁縫全書』『模範裁縫教科書』がある。大妻学院(現大妻女子大学)を創立。大妻女子の校章もこの紋がアレンジされている。画像は多磨霊園にて撮影。

    家紋は丸に平糸巻紋。
  • 大熊氏広の家紋

    大熊氏広の家紋1856年6月13日 - 1934年3月20日、 彫刻家。
    武蔵国足立出身。読みは、おおくまうじひろ。旧有栖川宮御殿の建築彫刻部を担当。 84年工部省出仕となり,皇居造営の彫刻制作に参加。 代表作は靖国神社境内の大村益次郎像、小松宮彰仁親王像等多数。

    画像の丸に剣片喰紋は雑司が谷霊園にて撮影。
  • 緒明菊三郎の家紋

    緒明菊三郎の家紋1845年 - 1909年1月6日、 実業家。
    伊豆国戸田出身。読みは、おあけきくさぶろう。東京京橋に洋式造船所を開業。品川に大型木造船工場の緒明造船所をひらき、事業を拡張。海運業も営み、大成功を収めた。家紋画像は、池上本門寺の墓所にて撮影。

    家紋は丸に木の字紋
  • 梅若万三郎(3世)の家紋

    梅若万三郎(3世)の家紋1941年 - 、 シテ方観世流能楽師。
    梅若万三郎 (2世)の長男として出生。本名万紀夫。1997年、大阪文化祭本賞受賞。2001年、三世梅若万三郎を襲名。第一回日本能楽団欧州公演に加わって以来、積極的に海外公演を行っている。画像は品川・海晏寺の梅若家墓所にて撮影。

    家紋は丸に橘紋
  • 氏家卜全の家紋

    氏家卜全の家紋1512年 - 1571年6月4日、 戦国時代の武将。
    美濃守護の土岐頼芸の家臣として仕えたが、斉藤道三によって頼芸が追放されると、道三の家臣として仕えた。美濃三人衆の中では最大の勢力を有していた。伊勢国長島攻めで柴田勝家に従軍し戦死。

    家紋は左三巴紋
  • 宇井純の家紋

    宇井純の家紋1932年6月25日 - 2006年11月11日、 環境学者。
    東京都新宿区出身。読みは、ういじゅん。「純」の名前は6月生まれに由来するという。水俣病の問題を社会に知らしめる発端を作り、公害問題に関する住民運動などに強い影響を与えた。墓所の写真より判断。

    家紋は撫子紋
  • ヴェンセスラウ・デ・モラエスの家紋

    ヴェンセスラウ・デ・モラエスの家紋1854年5月30日 - 1929年7月1日、 作家。
    ポルトガルの首都リスボン生まれ。ポルト市の著名な新聞「ポルト商業新聞」に当時の日本の政治外交から文芸まで細かく紹介。著書に『おヨネとコハル』『ポルトガルの友へ』等がある。家紋の丸に五三桐紋は、モラエスが亡くなった徳島市・潮音寺にて撮影。
  • 渋沢成一郎の家紋

    渋沢成一郎の家紋1838年7月30日 - 1912年8月30日、 幕臣、実業家。
    武蔵国血洗島村出身。農民・渋沢文左衛門の長男。渋沢栄一の従兄。戊辰戦争では、彰義隊を結成し、頭取に就任。榎本武揚率いる旧幕府脱走軍とともに蝦夷地に行き、箱館戦争に参戦した。明治以降は実業家として手腕を発揮した。

    家紋は丸に抱き柏紋