家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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和合英太郎の家紋
1869年8月15日 - 1939年6月11日、 実業家。
安芸国土手町出身。広島藩士・和合義男の長男。機械製氷株式会社を設立。その後、各地の製氷会社を吸収合併し日本製氷社長就任、現在のニチレイの基礎を築く。また日本冷凍協会会長となり日本の製氷・冷凍業界の発展に貢献。画像は多磨霊園にて撮影。
家紋は笹竜胆。
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徳川夢声の家紋
1894年4月13日 - 1971年8月1日、 弁士、漫談家。
島根県益田市出身。東京に育つ。本名は福原駿雄。読みは、とくがわむせい。元祖マルチタレントと言われる。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会初代理事長。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に三つ松毬紋。
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東儀鉄笛の家紋
1869年7月24日 - 1925年2月14日、 雅楽家・作曲家。
京都府出身。1300年続く雅楽の家柄に生まれ宮内庁雅楽寮に勤める。同じ姓でも、江戸幕府に仕えた楽師の末裔・雅楽演奏家・東儀秀樹とは別家系。早稲田大学校歌「都の西北」を作曲。画像は雑司ヶ谷霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に剣桔梗紋。
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テッド・タナベの家紋
1962年11月5日 - 2009年6月15日、 レフェリー。
愛知県名古屋市出身。本名は、田邉 哲夫。全日本プロレスを経て、ジャパン女子プロレスでレフェリーとしてデビュー。ユニバーサル・プロレスリング、みちのくプロレス、大阪プロレス等でレフェリーを務めた。家紋の丸に抱き柊紋は墓所写真にて判断。
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坪井正五郎の家紋
1863年2月22日 - 1913年5月26日、 自然人類学者。
江戸出身。蘭学者・坪井信道の孫。読みは、つぼいしょうごろう。岩石学者・坪井誠太郎は長男。第5回内国勧業博覧会では学術人類館を発案。日本石器時代人=コロポックル説を主張したことで知られている。画像は染井霊園にて撮影。
家紋は五瓜に唐花紋。
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津田左右吉の家紋
1873年10月3日 - 1961年12月4日、 日本史学者。
岐阜県美濃加茂市下米田町出身。読みはつだそうきち。皇国史観を否定する津田史観は第二次世界大戦後の日本史学会の政治的主流となった。家紋の五瓜に唐花紋は美濃加茂市民ミュージアム所蔵の父・津田藤馬の陣笠の写真より判断。
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月岡芳年の家紋
1839年4月30日 - 1892年6月9日、 浮世絵師。
武蔵国豊島郡新橋南大阪町出身。姓は吉岡、後に月岡。歴史絵、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がける。また衝撃的な無惨絵の描き手としても知られる。画像は新宿・専福寺にて撮影。
家紋は丸に桔梗紋と丸に竹笹紋。
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チャリヘスの家紋
1838年 - 1897年、 料理人。
スイスのチューリッヒに生まれ、フランスのパリでコックの修業を積み、上海を経て1869年頃に来日。築地精養軒の料理顧問となる。日本におけるフランスパンの開祖として今に語り伝えられる。家紋は揚羽蝶紋。画像は青山霊園内の外人墓地にて撮影。
家紋は揚羽蝶紋。
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千葉亀雄の家紋
1878年9月24日 - 1935年10月4日、 ジャーナリスト。
山形県出身。「読売新聞」「時事新報」「東京日日新聞」など新聞の社会部長、学芸部長を務める。「新感覚派」の命名者として知られる。宮城県遠田郡美里町の近代文学館に千葉亀雄記念文学室がある。画像は多磨霊園墓所にて撮影。
家紋は九曜紋。
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俵孝太郎の家紋
1930年11月12日 - 、 キャスター、政治評論家。
東京府出身。祖父は浜口内閣の商工大臣・俵孫一。保守派の論客としてニュース番組のコメンテーターを務める他、『マジカル頭脳パワー!!』ではパネラーとしても出演。小泉孝太郎の名前は俵の名前から命名されたという。青山霊園の俵家墓所にて撮影。
家紋は丸に違い鷹の羽。
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