家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 吉原重俊の家紋

    吉原重俊の家紋1845年5月15日 - 1887年12月19日、 官僚。
    薩摩国出身。攘夷派の志士として薩英戦争の際、大山巌や西郷従道らとともに英艦に乗り込もうとするが失敗したという。維新後は、官僚として、活躍。外務省書記官、日本銀行初代総裁等を歴任した。画像は青山霊園にて撮影。

    家紋は丸に三つ柏紋
  • 渡辺明の家紋

    渡辺明の家紋1984年4月23日 - 、 将棋棋士。
    東京都葛飾区出身、所司和晴門下。史上4人目の「中学生棋士」となる。初代永世竜王資格者。最年少九段(21歳7か月) 最速九段昇段(5年7ヶ月) 等の記録を持つ。また、羽生善治に対して、20局以上対局して勝ち越している唯一の棋士。

    家紋は九枚笹
  • 大鵬幸喜の家紋

    大鵬幸喜の家紋1940年5月29日 - 2013年1月19日、 大相撲力士。
    樺太出身。父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は日本人の納谷キヨ。納谷は母の姓。第48代横綱。優勝32回、6連覇2回などを記録。

    現役時の紋付には丸に平四つ目結紋があるが、納谷家の先祖の墓には丸に三つ柏紋がある。
  • 家紋の変形パターン5

    ●頭合わせ・尻合わせ 「頭合わせ」は、同じ紋が二つ以上で、紋の頭にあたる部分を合わせたもの。「尻合わせ」 はその逆。

    ●ほかの紋との合成 異なる紋同土を合成したもの。縁がある紋同士が合成される場合と、結婚などにより両家の紋が合成される場合がある。総じて「複紋」と呼ぶ。江戸時代には恋人同士が互いの家紋を合成することが流行り、これをとくに「比翼紋」と呼んだ。

    ●分割・省略 「分割」は、一つの紋を複数に分割したもの。「省略」は、オリジナルの一部を取り出したもの。

    以上のように、さまざまな変形パターンがある。このおかげで、オリジナルの家紋が尚武的になったり女性的になったり、あるいはソフトになったりユニークになったりしている。家紋の豊かなデザイン性は、こうした変化によるといえるだろう。

    (引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
  • 家紋の変形パターン4

    ●対い 同じ紋が二つ向かい合っているもの。鶴や鳩などの場合、片方が口を開け、もう片方が閉じて「阿吽」を表している。

    ●抱き 同じ紋が二つ下方で交差したり、繋がったりしているもの。対いと違うのは、抱き合っているようにみえることである。

    ●遣い 同じ紋が二つ交差したもの。

    ●並び 同じ紋が二つ以上並んでいる。

    ●盛り 同じ紋を三つ以上盛ったもの。奇数にし、三角形を描くものが多い。

    ●重ね 同じ紋を二つ以上用い、一部を重ねたもの。

    ●寄せ 同じ紋を三つ以上用い、中心に向けて配置したもの。

    ●追い 同じ紋を二つ以上用いて、隣の紋を追いかけているように配置したもの。

    ●豆 オリジナルを小さくしたもの。糸輪で囲んだものが多く見うれる。

    (引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
  • 家紋の変形パターン3

    ●横見 オリジナルを横かう見たもの。花紋に用いられる場合、茎やがくも描かれていることが多い。

    ●似せ ほかの家紋に似せたもの。蝶や桐に似せたものが多く見られる。

    ●覗き 輪郭の下方から家紋が覗いているもの。

    ●光琳 風江戸時代の絵師・尾形光琳が属した琳派の作風で描かれたもの。

    ●折れ 花弁や葉、羽芯どを折って描いたもの。

    ●上下 上下を逆にしたもの。

    ●結び 紋を、紐を結んだような形にしたもの。

    ●浮線 オリジナルを蝶のようにデザインしたもの。浮線とは「浮線綾」のことで、有職文様の代表的なものである。糸を浮かせて織るため、この名がついた。主に蝶をモチーフにした円形であることから、家紋ではオリジナルを蝶のように丸く描くものを指すようになった。

    (引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
  • 家紋の変形パターン2

    ●陰 家紋を線で描くのみにして、黒く染めないもの。明るく軽やかなイメージになる。

    ●石持ち オリジナルを黒丸(石持ち)で囲み、反転させたもの。石持ちとは本来「黒餅」のことだが、黒が石に通じて「石高(収穫した米穀の数量のこと)」に繋がり、縁起を担ぐ意味で石持ちと呼ぶようになったという。

    ●八重 花紋に多く見られる、花弁が重なっているもの。

    ●裏 花紋や植物紋の裏側を描いたもの。茎が描かれる。

    ●鬼 植物紋で、葉のふちをぎざぎざにしたもの。触れば傷つくかのような鋭さから、「鬼」の名がついたと考えられる。

    ●向う オリジナルを真正面(真上)から見たもの。花紋に多く、しべが描かれているものがよく見られる。

    ●捻じ オリジナルを捻り、一部分を重ねたもの。

    (引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
  • 家紋の変形パターン1

    変形を繰り返し、数を増やしていった家紋ですが、輪で囲む、線で描くのみで黒く染めないなど、変形パターンに法則性を見出すことができます。むろん、はじめからパターン化されていたわけではないです。普及し増えていくに従って系統立てられ、それに則して変形するようになっていったようです。その後は、新しい変形パターンが現れると、ほかの家紋にも広がっていったものと思われます。変形パターンのうち、基本的なものを挙げてみましょう。

    ●輪(丸)を付加 オリジナルを輪で囲むもの。輪は太さによって太輪・中輪・細輪・糸輪・毛輸に分かれる。
    太輪と中輸の中間を「丸に~」といい、これが輸の基本のようだ。

    ●角を付加 オリジナルを正方形で囲むもの。九十度傾けて立てたものや、隅をカットしたものなども見られる。

    ●剣を付加 オリジナルの隙間にディフォルメした剣を配置したもの。花紋や植物紋に多く見られる。

    ●蔓を付加 オリジナルの隙聞に蔓を配置したもの。見た目、西洋風なイメージが強くなる。当然とでもいおうか、花紋や植物紋に多い。

    (引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)
  • 変形していく家紋

    現在、家紋は二万種類あるといわれている。代々受け継いでいるだけであったら、こうまで増えないだろう。家紋は、たとえば本家と分家、主と家臣などの間で少しずつ形が変わり、増えていったのだ。
    本家と分家の場合、次男以下が分家となる際、本家の家紋を少々変化させた紋を作る例が多い。主と家臣の場合も、主と仰ぐ家の紋を変形させて用いる。平氏が「揚羽蝶」の紋を用いていたとして、平氏の末裔を主張する家々が「蝶紋」を用いたことは、主と家臣という間柄ではないが、この例に含めていいだろう。こうして作られた新しい家紋は、いずれの場合も本家あるいは主家と関わりがあることを知らせる役割を担っていた。
    このほかに「菊紋」のような事例もある。これは、定紋として用いている天皇家と区別する目的から、種類が増えていった紋である。(引用:「家紋から日本の歴史を探る」(株)インデックス発行)

    変形していく家紋
  • 珍紋「串団子紋」はコワカワイイ?!

    珍しい家紋(団子紋)

    斜めの串に団子が三つ刺さった「因幡団子」や「つなぎ団子」「丸に二つ串団子」などがありますが、そのバリエーションも多くはなく、珍しい家紋のひとつでしょう。
    またこの紋は珍しいだけでなく次のようないわくが伝えられています。
    「織田信長と今川義元が合戦の折、陣中で酒宴の最中、信長が山内幸政に団子を三つ串刺しにして、敵の首をこのようにして獲ってみよと賜った。幸政はこれを頂き、功名を挙げ以後、串団子を家紋としたという」(日本家紋総鑑)
    単なる後付けの伝承だろうとの見解もありますが、ホラー映画に負けず劣らぬの恐ろしい話と思いませんか。
    と思えば一方、京都の花街、祗園甲部、祗園東、上七軒、先斗町、宮川町などには今でも提灯などに団子の紋が見られますが、ここには心温まる話も残っております。
    祗園甲部では嘉永四年(1851)当時、八つの町があったので町名の頭文字をつないで円形の紋章にしておりました。円を繋ぐことで団結を表したのでしょう。
    その後明治になり、その円を団子に置き換えて、現在の「つなぎ団子に甲の字」となりました。
    また祗園東でも茶店時代の由緒から、今もなお「つなぎ団子」が用いられています。
    祗園以外でも、上七軒では豊臣秀吉が天正十五年(1587)に催した「北野大茶湯」でお茶屋も多いに強力したので、その褒美として御手洗団子を売る特権を与えられました。これにちなんで「五つ団子(抱き五つ団子)」を使うようになりました。
    このように京都の花街では、血なまぐさい経緯ではなく褒美や地域の団結の印として「団子紋」が伝えられています。
    ちなみに、先斗町は「千鳥紋」、宮川町「三つ輪紋」が使われています。