家紋や名字、その他「和」に関するコラム

  • 塚本邦雄の家紋

    塚本邦雄の家紋1920年8月7日 - 2005年6月9日、 歌人、小説家。
    滋賀県神崎郡出身。第一歌集『水葬物語』でデビューし、三島由紀夫に絶賛される。歌集の他にも多くの文芸作品を発表。短歌は、昭和30年代以降の前衛短歌運動に決定的な影響を与えた。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。

    家紋は隅切り角に左三つ巴紋
  • 千種忠顕の家紋

    千種忠顕の家紋生年不詳 - 1336年7月13日、 南北朝時代の公家。
    権中納言六条有忠の次男。千種家の祖。後醍醐天皇の近臣。建武の新政では楠木正成、名和長年らと共に三木一草と称された。

    家紋の竜胆車紋は伝通院にある千種家の家紋。
  • 太地喜和子の家紋

    太地喜和子の家紋1943年12月2日 - 1992年10月13日、 女優。
    和歌山県東牟婁郡太地町出身。三國連太郎、中村勘三郎、尾上菊五郎とのロマンスが取り沙汰される。文学座の大女優・杉村春子の後継者、実力派として活躍。代表出演作品は『火まつり』『無頼漢』。画像は巣鴨・勝林寺にて撮影。

    家紋は五三の桐
  • 相馬永胤の家紋

    相馬永胤の家紋1850年12月25日 - 1924年1月26日、 教育者、実業家。
    彦根藩出身。読みは、そうまながたね。田尻稲次郎・目賀田種太郎・駒井重格と共に専修学校(後の専修大学)を創立。初代校長、初代学長を勤めた。横浜正金銀行(後の三菱東京UFJ銀行)取締役、頭取を歴任。青山霊園の墓所にて撮影。

    家紋は九曜紋
  • 瀬川昌治の家紋

    瀬川昌治の家紋1925年10月26日 -、 映画監督、脚本家。
    東京市神田区神保町の官吏の家に出生。『ぽんこつ』で監督デビュー。1960年代に数多くの喜劇シリーズを監督。代表監督作は『図々しい奴』『乾杯!ごきげん野郎』等。また、テレビドラマ『赤いシリーズ』『スチュワーデス物語』等の脚本も手がける。

    家紋は丸に立ち梶の葉紋
  • 末高信の家紋

    末高信の家紋1894年9月4日 - 1989年4月4日、 商学博士。
    東京都台東区出身。読みは、すえたかまこと。元・徳川幕府の幕臣であった松平信生の長男。駿府入りした際に旗本の末高家の養子になり改姓したことに依る。 生命保険修士会名誉会長。早稲田大学教授。

    家紋の丸に三つ引両紋は青山霊園にて撮影。
  • 椎名康胤の家紋

    椎名康胤の家紋生年不詳 - 1576年3月、 戦国時代の武将。
    越中新川郡の守護代の家柄・椎名慶胤の子。松倉城主。上杉謙信との強い結びつきを保っていたが、1568年、突如として甲斐国・武田信玄と手を結び、上杉に反旗を翻し、結局は謙信に滅ぼされた。

    家紋は蔦紋
  • 西郷四郎の家紋

    西郷四郎の家紋1866年3月20日 - 1922年12月22日、 柔道家。
    会津藩士・志田貞二郎の三男として若松に生まれ、16歳で会津藩家老・西郷頼母の養子となる。講道館柔道の達人で講道館四天王の一人。得意技は「山嵐」。富田常雄の小説『姿三四郎』のモデル。画像は長崎の大光寺の墓所。

    家紋は角九曜紋
  • 小池正直の家紋

    小池正直の家紋1854年12月23日 - 1914年1月1日、 陸軍軍医。
    庄内藩出身。鶴岡藩医の長男。読みは、こいけまさなお。東京大学医学部を卒業。同期に森鴎外、賀古鶴所等がいる。軍医部長、医務局長として、日清戦争、日露戦争に従軍。その功にて、男爵の爵位を授爵。

    家紋の丸に三つ引両紋は雑司が谷霊園にて撮影。
  • 顕如の家紋

    顕如の家紋1543年2月20日 - 1592年12月27日、 僧侶。
    大阪出身。本願寺第十世・証如の長子として誕生。妻は三条公頼の三女。織田信長の宿敵。全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけ、包囲網を結成し、10年以上にわたって激しい攻防を繰り広げた。家紋画像は築地本願寺にて撮影。

    家紋の九条下り藤紋