家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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高橋新吉の家紋
高橋新吉 。1843年2月26日 – 1918年11月30日、 文学者・実業家。
薩摩国出身。藩士高橋七郎の次男。「英和対訳袖珍辞書」を底本として辞書『和訳英辞林』(「薩摩辞書」)を編纂。九州鉄道初代社長、南満洲鉄道や韓国銀行の設立委員などを歴任。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
家紋は十五枚笹竹の丸紋。
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家紋キャラ化で話題「家紋無双」、初開催のフェスにカモン! 仕掛け人が語る熱い思いとは
火炎に包まれた力強い猛者や、ピンクの衣装に身を包む、けなげな女性-。まるでアニメやゲームのキャラクターのような姿の正体は、家紋だった。日本で古来伝わる家紋を、擬人化したイラストで紹介したことで話題を呼んだ本「家紋無双」。そのキャラたちが、秋の京都で初開催される「家紋フェス」に集結する。家紋の新たな可能性を探る企画展のほか、歴史や図柄に込められた先人の思いを知る企画も盛りだくさんの1日。ここはあえてベタに言おう。「家紋フェス」にカモン! 後略(引用:まいどなニュースより)
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“城郭符”お目見え 名護屋城博物館作成 /佐賀
唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館は、肥前名護屋城の城郭符を作成・販売し、訪れた観光客らが名護屋城登城記念にと買い求めている。同館では“城郭符効果”で来館者増を目指すとしている。(引用:毎日新聞より)
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高橋是清の家紋
高橋是清 。1854年9月19日 – 1936年2月26日、 政治家。
江戸芝中門前町出身。幕府御用絵師・川村庄右衛門の子。犬養毅内閣の大蔵大臣の際に世界恐慌デフレから日本経済を世界最速で脱出させた。第20代内閣総理大臣。二・二六事件で暗殺された。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
家紋は三つ追い沢瀉紋。
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高橋健三の家紋
高橋健三 。1855年9月 – 1898年7月22日、 ジャーナリスト。
江戸出身。元尾張藩士の高橋大蔵の子。大阪朝日新聞に入り国家主義の観点から執筆を積極的に行う。第2次松方内閣が発足すると、陸羯南の推挙によって内閣書記官長に任じられるが、新聞紙条例の改正を巡る騒動で辞職。
家紋は丸に九枚笹紋。
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高橋掬太郎の家紋
高橋掬太郎 。1901年4月25日 – 1970年4月9日、 作詞家。
北海道根室市出身。北海道の国後島で漁師の息子。「酒は涙か溜息か」で作詞家デビュー。その後も、昭和の名曲を数多く手がけた。代表曲は『船頭可愛や』『ここに幸あり』『古城』『足摺岬』等。画像は小平霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に橘紋。
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高橋亀吉の家紋
高橋亀吉 。1891年1月27日 – 1977年2月10日、 経済研究者。
山口県徳山村出身。石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社に入社。高橋経済研究所を創立すると『高橋財界月報』を刊行。主著『日本資本主義発達史』『日本近代経済形成史』等。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に九枚笹紋。
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高橋悦史の家紋
高橋悦史 。1935年8月2日 – 1996年5月19日、 俳優で、声優。
大阪府岸和田市に大工の息子。日活映画『私、違っているかしら』に出演し映画デビュー。岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』の青年将校役に抜擢され注目を浴びる。出演作『戦争と人間』『皇帝のいない八月』等。画像は春秋苑にて撮影。
家紋は丸に三つ引両紋。
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貴乃花光司の家紋
貴乃花光司 。1972年8月12日 – 、 大相撲力士。
東京都杉並区出身。父は元大関の貴ノ花利彰、母は女優の藤田憲子。本名は花田光司。第65代横綱。優勝22回は歴代6位で、平成の大横綱と称される。引退後は貴乃花部屋師匠、日本相撲協会の役員。画像は杉並の天桂寺・花田家墓所にて撮影。
家紋は丸に隅立て四つ目紋。
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「天空の城」に秋限定の御朱印登場 越前大野城で販売
福井県大野市の越前大野城で販売している城御朱印に9月1日から、秋の行楽シーズンに合わせて満月をあしらった限定デザインが登場。
より多くの人に大野城を訪れてもらおうと市観光協会が企画した。城御朱印は縦15センチ、横10センチの越前和紙製。大野城の上に輝く大きな満月を描いたイラストに「天空の城越前大野城登城記念」の墨書と土井家の家紋が印刷されている。1枚300円で11月30日まで販売。城と雲の2種類の通常デザインもある。
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