家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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瀬川菊之丞(初代)の家紋
1693年 - 1749年10月12日、 歌舞伎役者。
元は大坂道頓堀の貝塚屋仁三郎抱えの濱村屋吉次という色子。読みは、せがわきくのじょう。女形の名優。能に取材した舞踊にも傑作を残し、『道成寺』や『石橋』の所作事を得意とした。芸論書に『女方秘伝』がある。家紋は大雲寺にて撮影。
家紋は丸に結綿紋。 -
末岡精一の家紋
1855年6月20日 - 1894年1月22日、 法学者。
山口県熊毛郡田布施町宿井出身。庄屋・末岡太兵衛景徳の次子。日本法律学校(現日本大学)の創立に参画する。行政学担当。著作に『行政裁判法講義』『行政法汎論講義』『比較国法学』がある。青山霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に三つ菱紋。 -
椎名悦三郎の家紋
1898年1月16日 - 1979年9月30日、 官僚、政治家。
岩手県水沢町出身。椎名家は蘭学者の高野長英の血筋。自民党副総裁、外相、通産相を歴任。日韓基本条約の締結に向けて韓国側と交渉。田中角栄の首相退陣の折には後継を三木武夫とする選定を下した「椎名裁定」で知られる。春秋苑にて撮影。
家紋は丸に違い鷹の羽。 -
西郷孤月の家紋
1873年9月23日 - 1912年8月31日、 日本画家。
筑摩県筑摩郡松本深志町出身。旧松本藩士・西郷績の長男。横山大観、菱田春草、下村観山とともに、橋本雅邦門下の四天王と呼ばれた。妻は、橋本雅邦の娘。媒酌人は岡倉天心。
家紋の丸に一つ鷹の羽紋は文京区吉祥寺にて撮影。 -
恋川春町の家紋
1744年 - 1789年8月27日、 戯作者。
紀州徳川家附家老の安藤次由の家臣・桑島勝義の次男として誕生。父方伯父の倉橋勝正の養子となる。本名は倉橋格。『金々先生栄花夢』で当世風俗を描き、黄表紙というジャンルを開拓。画像は成覚寺にて撮影。
家紋は三つ並び杏葉紋か? -
源氏鶏太の家紋
1912年4月19日 - 1985年9月12日、 作家。
富山県出身。父親は富山の置き薬売り。本名は田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きだったから」という。代表作は『英語屋さん』『口紅と鏡』等。『三等重役』は社長シリーズとして映画化され大ヒットする。画像は善福寺にて撮影。
家紋は丸に木瓜。 -
家紋関連著書のご案内(日本の家紋入門)
家紋は、われわれ日本人の先祖が残してくれた、自分の血のいわれを教えてくれる、素晴らしい文化遺産である。家系につながる重要な紋様であるとともに、そのデフォルメされた簡明なデザインの美しさは、花鳥風月に通じて、茶道や華道と同じく、日本人の精神を今日に伝えるものであり、優れた芸術作品でもある。 Google Books
初版発行: 2006年8月
著者: 楠戸義昭 -
陸羯南の家紋
1857年11月30日 - 1907年9月2日、 ジャーナリスト。
弘前藩出身。藩医・中田謙斎の長男。谷干城、杉浦重剛らに援けられ「東京電報」を創刊、翌年「日本」と改題。日本主義を提唱。官僚主義と藩閥政治の専制を攻撃し、多くの読者の支持を得た。画像は染井霊園の墓所にて撮影。
家紋は幸い菱に花菱。 -
菊田あや子の家紋
1959年11月4日 -、 タレント・レポーター。
山口県下関市出身。本名は、菊田紋子。ニュース番組のグルメレポーター、ワイドショーの芸能レポーター、テレビショッピングのMCなど幅広く活躍している。自称「日本でいちばん食べている女レポーター」。
家紋の片喰紋は自身のブログにて確認。
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海江田信義の家紋
1832年3月13 - 1906年10月27日、 武士、政治家。
薩摩藩出身。藩士・有村仁左衛門兼善の長男。生麦事件を起こす。戊辰戦争では東海道先鋒総督参謀として活動するが大村益次郎と事あるごとに対立した。維新後は元老院議官、貴族院議員等を務める。長女は東郷平八郎に嫁ぐ。画像は青山霊園にて撮影。
家紋は五七桐紋。