家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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西郷どんと関係の深い人物の家紋(木戸孝允)
1833年8月11日 - 1877年5月26日、 武士・政治家。 長門国萩呉服町萩藩医 和田昌景の長男として出生。桂家の末期養子となる。尊王攘夷派の中心人物。西郷隆盛、大久保利通とともに維新の三傑として並び称せられる。桂小五郎時代は丸に三つ星紋。画像は多磨霊園にある類縁・木戸幸一の墓所にて撮影。
家紋は葉菊菱
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西郷どん登場人物の家紋(勝海舟)
1823年3月12日 - 1899年1月19日、 幕臣。 父は旗本小普請組の勝小吉。曽祖父・銀一は越後国三島郡長鳥村の貧農の家に生まれた。幕末の動乱期、幕臣として、神戸海軍操練所の創設、江戸城無血開城などの偉業を成し遂げる。明治維新後は参議、海軍卿、枢密院顧問として活躍。家紋は丸に剣花菱
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西郷どん登場人物の家紋(井伊直弼)
1815年11月29日 - 1860年3月24日、 大老。 近江国犬上郡出身。第13代彦根藩主・井伊直中の十四男として彦根城で出生。安政の大獄により多数の志士や公卿らを粛清。尊攘派の怨嗟をうけ水戸、薩摩藩浪士により江戸城桜田門付近で暗殺された(桜田門外の変)。画像は菩提寺・豪徳寺にて撮影。
家紋は丸に橘
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西郷どん登場人物の家紋(阿部正弘)
1819年12月3日 - 1857年8月6日、 老中首座。 江戸出身。福山藩・第5代藩主・阿部正精の五男。幕末の動乱期にあって改革を断行。老中首座在任中にペリーが来航、日米和親条約締結を行う。洋学所、長崎海軍伝習所等を創設。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。
家紋は阿部鷹の羽
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西郷どん登場人物の家紋(海江田信義(有村俊斎))
1832年3月13 - 1906年10月27日、 武士、政治家。薩摩藩出身。藩士・有村仁左衛門兼善の長男。生麦事件を起こす。戊辰戦争では東海道先鋒総督参謀として活動するが大村益次郎と事あるごとに対立した。維新後は元老院議官、貴族院議員等を務める。長女は東郷平八郎に嫁ぐ。画像は青山霊園にて撮影。
家紋は五七の桐
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西郷どん登場人物の家紋(大山綱良(格之助))
1825年12月15日 - 1877年9月30日、 政治家。 薩摩国出身。西郷隆盛、大久保利通らとともに精忠組に所属。寺田屋事件では、過激派藩士の粛清に加わる。新政府では廃藩置県後に、鹿児島県の大参事、権令(県令)となる。西南戦争では官金を西郷軍に提供した。家紋は隅立て四つ目結
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西郷どん登場人物の家紋(調所広郷)
1776年3月24日 - 1849年1月13日、 薩摩藩の家老。 薩摩国出身。城下士・川崎兼高の息子として生まれ調所清悦の養子となる。本姓は藤原氏。薩摩藩の財政は500万両にも及ぶ膨大な借金を強引な行政改革、農政改革、財政改革等で乗り切る。家紋は丸に桔梗紋。青山霊園の調所家の墓所にて撮影。
家紋は丸に桔梗
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西郷どん登場人物の家紋(島津斉彬)
1809年4月28日 - 1858年7月16日、 大名。 薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人。後に西郷隆盛ら幕末で活躍する人材も育て上げた。日本の国旗である日章旗を初めに提案した。画像は護国寺の島津家の墓。家紋は丸に十字は薩摩・島津家家紋として有名。
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西郷どん登場人物の家紋(大久保利通)
1830年9月26日 - 1878年5月14日、 政治家。薩摩国鹿児島城下高麗町に下級藩士として誕生。西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と呼ばれる。維新後は内務省を設置し自ら初代内務卿として実権を握ると地租改正、徴兵令、殖産興業政策を推進。画像は青山霊園にて撮影。
家紋は三つ藤巴
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西郷どん登場人物の家紋(西郷従道)
1843年6月1日 - 1902年7月18日、 海軍軍人。 薩摩藩鹿児島城下加治屋町出身。西郷隆盛の弟。伊藤博文内閣の海軍大臣、内務大臣などを歴任。妻、清子は得能良介の長女。四男は上村彦之丞、六男は小松家の嗣養子。最終階級は元帥海軍大将。画像は多磨霊園の墓所にて撮影
家紋は三つ寄り菊葉紋
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