家紋や名字、その他「和」に関するコラム
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新島襄の家紋
1843年2月12日 - 1890年1月23日、 布教家、教育家。 江戸出身。父は安中藩藩士。本名は七五三太。妻は山本八重。アメリカに密航し洗礼を受ける。訪米中の岩倉使節団と会い木戸孝允の通訳として同行。欧米各国の教育制度を調査。同志社英学校を開校。画像は新島襄記念館の丸に根笹紋。
家紋は丸に根笹 -
内藤湖南の家紋
1866年8月27日 - 1934年6月26日、 東洋史学者。 陸奥国毛馬内村にて南部藩士・内藤調一と容子の次男として出生。戦国武将内藤昌豊の子孫との家系伝承を持つ。狩野君山・桑原隲蔵とともに「京都支那学」を創設、京大の学宝とまで呼ばれた。主著は『支那史学史』『清朝史通論』等。
家紋は下がり藤。 -
土肥慶蔵の家紋
1866年7月20日 - 1931年11月6日、 医学者。
越前武生領の医者、五世・石渡宗伯の次男として越前府中松原に出生。読みは、どひけいぞう。実質的に西洋医学に入る皮膚科を日本に導入し日本皮膚科学会を発足させた。主著は『世界黴毒史』。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。
家紋は丸に左三つ巴紋。 -
勅使河原蒼風の家紋
1900年12月17日 - 1979年9月5日、 華道家。 東京府出身。草月流の創始者。草月流三代目家元、映画監督である勅使河原宏の父。華道において斬新な手法を多く提供し「花のピカソ」と呼ばれた。日本のいけばなを世界に発信した。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
家紋は三日月に根笹紋。 -
塚原二四三の家紋
1887年4月3日 - 1966年3月6日、 海軍軍人。
福井県出身(本籍は山梨県)。読みは、つかはらにしぞう、または、つかはらふしみ。大東亜戦争では、第11航空艦隊司令長官に任じられた。最終階級は海軍大将(井上成美とともに海軍大将に昇進した)。画像は多磨霊園にて撮影。
家紋は丸に剣片喰紋 -
千秋実の家紋
1917年4月28日 - 1999年11月1日、 俳優。
北海道中川郡恩根内村出身。本名は佐々木勝治。黒澤明監督から映画出演を勧められ『野良犬』でデビュー。代表出演映画は『七人の侍』『隠し砦の三悪人』等。『花いちもんめ。』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。画像は冨士霊園にて撮影。
家紋は隅立て四つ目 -
ダイアモンドユカイの家紋
1962年3月12日 - 、 ロックシンガー、俳優。 東京都出身。本名は、田所豊。RED WARRIORSのボーカルとしてデビュー。ハリウッド映画「TOKYO-POP」にて俳優デビュー。ミュージシャンのみならず、俳優、声優、ナレーター、テレビタレントなど、活動は幅広い。
家紋は丸に尻合わせ三つ蔦紋 -
副島種臣の家紋
1828年10月17日 - 1905年1月31日、 官僚、政治家。肥前国出身。父は佐賀藩の藩校・弘道館の教授、国学者・枝吉南濠。弘道館で学び尊王攘夷思想に目覚める。江藤新平や大木喬任と交わり大隈重信らと脱藩、奔走。第1次松方正義内閣では内務大臣を務める。画像は青山霊園の墓所にて撮影。
家紋は星梅鉢 -
世阿弥の家紋
1363年? - 1443年9月1日、 猿楽師。 幼名は鬼夜叉、二条良基より藤若の名を賜る。観阿弥と共に猿楽を大成し能楽を完成。観世流として現代に受け継がれている。代表作は『高砂』『井筒』『実盛』。
元の家紋は十本矢車だが現在の観世流は十二本矢車。
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陶晴賢の家紋
1521年 - 1555年10月16日、 武将。 大内氏の重臣・陶興房の次男として出生。本姓は多々良氏。家系は大内氏の庶家・右田氏の分家にあたる。初名は隆房。1551年に大内義隆を殺害。厳島の戦いで毛利元就に敗北、自害。武勇に秀でた人物で「西国無双の侍大将」と呼ばれた。
家紋は大内菱